[配信]Time of Grace 「父親と母親へ」

[配信]Time of Grace 「父親と母親へ」

Time of Grace 「父親と母親へ」

マーク・ジェスキー著(訳:MLP Japan)

はじめに

結婚はもはや時代遅れでしょうか?最近、アメリカのピュー研究所が行った調査によれば、約40%のアメリカ人が結婚を時代遅れと感じているかもしれないという結果が出ています。また、私たちの国の高い離婚率についても耳にしたことがあるでしょう。アメリカ人に結婚が機能しなくなっている理由を尋ねたときの代表的な回答をいくつか紹介します。

  • 結局は別れることになるかもしれないので、最初から結婚しないほうが傷つかずに済む。
  • 結婚は封建的で、時代遅れの制度であり、父権主義を強化するものだと感じる。現代の自立した女性は、結婚せずに済む方がより自由を得られる。
  • 男性は結婚を決意しなくても女性と関係を持てるようになった。この状況は、女性が自らを安く扱っているように男性に感じさせる。
  • 近年、シングルマザーによる子育ては一般的になっており、一部の地域ではアフリカ系アメリカ人のシングルマザーの割合が70%を超えている。白人のシングルマザーの割合もそれに近づいている。
  • 私はシングルマザーに育てられ、特に問題なく成長した。
  • 子どもが成長し、自分の仕事が安定してから結婚を考えるのも一つの選択肢だ。
  • テレビや映画で描かれる男性像は教育レベルが低く、考えが浅く、無責任で、社会的に未熟で、攻撃的な人物ばかりである。女性がそんなリスクを冒してまで結婚したいと思うだろうか。
  • 完璧なソウルメイトを見つけるまで結婚はしない。

これらの考えをあなたの子どもや孫、または結婚している方々に持ってほしいと思いますか?神はもっと素晴らしい考え方を提供しています。神、偉大な創造者から、結婚しても幸せに暮らし続ける方法を学びましょう。そして、神の栄光を反映する家族を築く方法を学びましょう。

牧師 マーク・ジェスキ―

1.基礎を築く

 神のように考える

 

一度株価が下がりだすと、下落がどんどん加速するのに気付いたことはありますか。自分の保有する株の価値が下がったと知ると、人は売りたくなるものです。こうしてたくさんの人が株を手放すと、株価の下落がさらに進むことになります。結婚についても同じことが言えます。結婚していない家庭に生まれた子どもが増えれば増えるほど、お手本にできる良い結婚生活を送っている人が少なくなるのです。こうして「常識」の意味合いが変わっていきます。

 

イエスの時代のパリサイ人は、一生続く結婚は高望みだと思っていたので、手早く簡単に離婚することを勧めていました。(驚くことに、イエスの弟子たちも同じ考えでした。)それで、イエスの強い主張を聞いたパリサイ人たちはひどく驚きました。

 

「イエスは答えて言われた。『創造者は、初めから人を男と女に造って、「それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる」と言われたのです。それを、あなたがたは読んだことがないのですか。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。』」(マタイの福音書19章4-6節)

これはつまり、結婚が人間の考え出した制度ではないということです。結婚は人が好き勝手できるものではありません。結婚は、まさに世界のはじまりの時に神が創造されたものなのです。

 

イエスは、結婚すると「ふたりは一体となる」と説明されました。この表現のギリシャ語は、「糊で貼ったように、隙間なくくっつく」という意味です。結婚することによってパートナー同士が強力な糊で貼り合わさった紙のように密接に結びつけられ、「私」と「あなた」という別々の存在ではなく、「私たち」という一つの存在になるのです。神のお造りになった結婚を計算式で例えてみると、一足す一は、一(1+1=1)なのです。これを聞いてあなたはがっかりしますか?それともワクワクしますか?

一緒に踊りましょう

 

最近のダンスシーンでは、社交ダンスを除き、パートナーとの連動をそれほど重視していないようです。クラブのダンスフロアでは、周りの人々とある程度の距離を保ちつつ、各自が自由に踊っています。それぞれが自分のリズムで動き、好きなように踊ることが受け入れられています。

 

しかし、幸せな結婚生活は、これとは異なるアプローチを必要とします。それはワルツやタンゴのようなダンスに似ています。お互いの動きに注意を払い、相手をサポートしながら、息を合わせて踊ります。結婚も社交ダンスも、一方がリードし、もう一方がそれに応じることで成立します。そして、優雅に踊るためには、互いによくコミュニケーションを取ることが不可欠です。

 

神は宇宙を創造し、性別を設け、結婚を定められました。創造主である神なら、結婚というダンスを最も美しく踊る方法をご存知でしょう。

「夫たちよ。・・・妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。」(ペテロの手紙第一3章7節)

 

これは、夫がリーダーシップを受け入れ、イエスのように妻を導くべきであることを示しています。イエスは神のしもべとして、愛する人々のために自らを犠牲にしました。夫は家庭においてイエスの役割を果たすように求められています。これは、妻が夫にある程度の主導権を譲り、夫の導きに喜んで従うべきであることを意味します。

 

結婚を導くのが神であると信じますか?もしそうなら、神に結婚というダンスのステップを教えていただきましょう。

 

心配せず、喜びを見つけましょう

 

新生児を抱える夫婦を見つけるのは難しくありません。睡眠不足で疲れた様子の彼らからは、新たな親であることが伺えます。赤ちゃんは、親の生活を根本から変え、親は赤ちゃんの世話に追われます。

 

子どもが成長するにつれて、親の悩みも変わりますが、ストレスの度合いは変わらないかもしれません。思春期の子どもを持つ親は、学費の支払い、自分の育児に対する不安、子どもの居場所や行動、秘密主義的な態度、悪影響を及ぼす可能性のある友人、気分の変動、奇抜な服装や音楽の趣味など、さまざまなことで頭を悩ませます。

 

しかし、全能なる神は私たちにリラックスし、心配事から解放されるよう呼びかけています。イエスは次のように教えています。

「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分の命を少しでも延ばすことができますか。」(マタイの福音書6章27節)

つまり、心配しても何の解決にもならないということです。心配は恐れの一形態で、コントロールの喪失や失敗、神の不在を恐れることです。

神は私たちの成長を遠い視点から見守っておられます。私たちも同じように長期的な視点を持つべきです。ヤコブ、ヨセフ、モーセといった聖書の人物も若い頃には困難に直面しましたが、神は彼らを導き、強い信仰の持ち主へと成長させました。もし今、家族のことで心が重たいなら、深呼吸をして、神に祈り、心配の重荷を神に委ねましょう。

 

重荷を神に委ねる

 

空港で人々を観察していると、背丈以上の荷物を抱えて苦労している姿をよく見かけます。これは私たちの人生を象徴しているかもしれません。恐れ、罪悪感、失敗、数え切れない問題を抱え込み、それを背負って生きているのではないでしょうか?

 

聖書は私たちに、誰もが何かしらの問題を持っているという事実を教えています。表面上は問題がなさそうに見える人もいますが、実際はただ問題を上手に隠しているだけかもしれません。もし私たちの後悔や失敗をリストアップしたら、想像以上に長いリストになるでしょう。お金の問題に頭を悩ませたり、家族関係の問題で心が痛んだり、子育ての失敗を感じたりしているかもしれません。そして、その全てを抱えて限界を感じている自分を、笑顔で隠しているかもしれません。

 

神は、私たちが自分の力では解決不可能な問題を抱え込んで、神に助けを求めることを待っているのかもしれません。問題の根底には罪があります。私たちは罪を持って生まれ、神に助けを求めることを恐れています。しかし、使徒ヨハネは慰めの言葉を伝えています。

「子どもたちよ。私があなたがたに書き送るのは、主の御名によって、あなたがたの罪が赦されたからです。」(ヨハネの手紙第一2章12節)

 

神が私たちを赦してくれるなら、自分自身を赦すこともできます。神が私たちを愛しているなら、自分自身を愛することもできます。神が解決法を与えてくれるなら、その解決を平和な心で待つことができます。人生の重荷は、神に委ねることで軽減されるのです。

 

2.父親たちへ

 

妻を大切に

 

アメリカには「ママがハッピーでなければ、家族もハッピーになれない」という言葉があります。これはまるで聖書からの引用のような真実を含んでいます。(日本では「お母さんは家族の太陽」という表現が似ています。)

 

夫たちに問います。常に不機嫌そうなパートナーとの生活を想像してみてください。それは幸せとは言えないでしょう。女性と男性はそれぞれ異なる強さを持っており、女性は家族の心を動かし、大きな影響力を持つことができます。

 

最も大切なのは、夫がどのように接するかです。夫は妻を尊重し、彼女の感情に耳を傾け、日々の生活を支えることで妻を愛するべきです。具体的には、日常的な会話を大切にする、共同で家事を行う、感謝の言葉を伝えるなどがあげられます。

 

使徒パウロは

「そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。」(エペソ人への手紙5章28節)

と述べています。

多くのクリスチャン女性はイエスの教えに従い、イエスの愛を大切にしています。イエスはそんな彼女たちの思いに共感し、その苦しみと悲しみを軽減します。夫が、イエスのように彼女を愛し、共感し、イライラの原因を、心を開いて話し合うことができる存在なら、女性は心穏やかに過ごすことができるのです。

 

夫たちへ。妻のニーズを満たすことはあなたの人生を豊かにします。母親が幸せであれば、家族全体の幸福につながるのです。

 

子どもたちの安全な避け所

 

子どもたちが、夜の暗がりに潜む架空の怪物に怯えるのは、この世界が時に怖くて危険な場所であると直感しているからです。彼らは自分たちにとっての安全な避け所が必要だと理解しています。父親の強さは、子どもたちを守る頑丈な壁となり、その保護のもとで安心して成長できるのです。

 

しかし、父親はその強さをどこから得るのでしょうか?ソロモン王は若き日に、家族の安全に関して

「力強い信頼は【主】を恐れることにあり、子たちの避け所となる。」(箴言14章26節)

と述べました。

神の言葉と知恵に従うことで、父親は自らの衝動をコントロールし、忍耐強く、愛情深い存在へと変わることができます。

 

少女たちは、父親から特別で大切な存在と見なされることで、自己価値を見出します。父親からの愛を確信していれば、思春期に入っても不適切な関係に陥るリスクが減少します。少年たちは、自制心、自立心、そして自己犠牲が真の男らしさであることを父親から学びます。これらの価値観は、自然に身につくものではなく、父親などの大人の男性から学ぶ必要があるものです。

 

信仰深い男性は、家族を守るとはどういうことかを深く理解しています。彼らは、神の導きを受け、家族のための堅固な避け所となるのです。

 

妻に感謝を

 

よく言われることですが、男性は目的を、女性は人間関係を重視する傾向があります。考えてみましょう。手紙を書くことが多いのは女性ではないでしょうか?また、贈り物をすることに関しても、女性の方が男性よりも頻繁に行う傾向にあると思われます。恐らく、贈り物をする割合は女性が80%、男性が20%くらいではないでしょうか。

 

感謝の心を持つことは誰にとっても重要ですが、特に男性はこの点で努力が必要かもしれません。私たちは、周囲の人々との関係を深め、その関係を向上させることの大切さを学ぶべきです。多くの女性が感じている不満の一つは、自分の行動が十分に感謝されていないことです。特に、出産や子育てといった大きな犠牲を払っている女性にとってはなおさらです。

 

アメリカのテレビ番組ではしばしば、美しい女性を追い求め続けるナルシストな男性が登場します。しかし夫の皆さん、神が既に素晴らしい女性をお与えになったことに気づいていますか?あなたに忠実で、一生懸命働き、あなたのキャリアを支え、子どもたちのために自分を捧げてくれる奥さんは、神からの素晴らしい贈り物、あなたの冠です。

「しっかりした妻は夫の冠。恥をもたらす妻は、夫の骨の中の腐れのようだ」(箴言12章4節)。

 

この冠を、誇りを持って身につけましょう。今日、奥さんにどれだけ感謝しているかを伝えましたか?(昨日や先週のことではなく、今日のことです。)何か特別な日ではなくても、ただ感謝の気持ちから花を贈ることで、あなたの妻がどれほど喜ぶか想像してみてください。

 

神の約束を信じる

 

歴史を通じて、人々は常に望みをすぐに叶えたいと願ってきました。スペインの探検家ポンセ・デ・レオンが伝説の「若返りの泉」を求めたのも、ハリー・ポッターが魔法を学んだのも、銀行強盗やギャンブルに手を出す人々がいるのも、すべて即座に結果を得たいという願望からです。

 

しかし、家庭生活を根本から良くする方法があったらどうでしょう。その方法とは、魔法の呪文ではなく、神を畏れることです。

「幸いなことよ。すべて【主】を恐れ、主の道を歩む者は。あなたは、自分の手の勤労の実を食べるとき、幸福で、しあわせであろう。あなたの妻は、あなたの家の奥にいて、豊かに実を結ぶぶどうの木のようだ。あなたの子らは、あなたの食卓を囲んで、オリーブの木を囲む若木のようだ。見よ。【主】を恐れる人は、確かに、このように祝福を受ける」(詩篇128篇1―4節)。

 

ここで大切なことが二つあります。一つ目は、「畏れる」とは恐れることではなく、神を深く尊敬し、良い関係を築くことを意味するということです。これには神のみことばを大切にし、神のみこころにかなう選択をすることが含まれます。

 

二つ目は、神を畏れ、従う人は神に祝福されるということです。これは、神があなたの人生に積極的に働きかけ、より良い方向へと導いてくださることを意味します。神によってのみ可能な変化が、あなたの人生で起こるのです。

 

男性の皆さん、神に祝福された家庭は、あなたの妻やお子さんにとって最高の贈り物です。

 

3. 母親たちへ

 

夫を適切に扱いましょう

 

結婚での適切な振る舞いは、学んで身につけるものです。新婚時代には、自分のニーズとパートナーのニーズが同じだと思いがちですが、実際はそうではありません。神は男女に異なる指導を与えています。多くの女性が夫に最も必要なのは愛情だと考えがちですが、実は男性にとって一番大切なのは尊敬です。

 

愛情は素晴らしいものですが、男性にとっては尊敬がより根本的なニーズです。女性の言葉は、男性を励ます力もあれば、打ちのめす力もあります。神は男性にリーダーシップの役割を与えました。

「妻もまた自分の夫を敬いなさい。」(エペソ人への手紙5章33節)

と聖書は述べています。夫がリーダーとしての役割を果たすには、妻の支援が不可欠です。

 

あなたは夫に家族を率いてほしいと願っていますか?家族を守り、責任を果たしてほしいと思っていますか?妻が夫にどのように話しかけるかによって、そのような家庭環境を築くことができます。批判や皮肉が多いと、夫は自信を失います。妻が従う勇気を見せなければ、夫はリーダーシップを取ることができません。

 

家で自分が小さく感じる夫は、家に帰りたくなくなります。しかし、自分が大切にされ、尊敬されていると感じる夫は、家庭と家族に喜んで時間を割くでしょう。尊敬されていると感じる夫は、大切なお妃様と子どもたちの面倒を見るために、毎日喜んで家に帰るようになります。

 

恵みに満ちた母の愛

 

私たちの多くは、職場で上司に嫌味を言われたり、同僚から不快な扱いを受けた経験があります。実際、いじめは幼い頃から始まるもので、学校生活では誰もが外見、髪型、話し方、成績など、様々な理由でいじめられることがあります。

 

そんな時、子どもたちは安らぎを求めてどこに行くでしょう?答えはお母さんのもとです。お母さんは子どもの心を癒やし、安心させる特別な力を持っています。子どもは世界中の誰が敵に回ろうとも、お母さんだけは常に自分を愛し、誇りに思い、大切にしてくれると感じる必要があります。

 

ダビデ王は戦士でありながら詩人でもありました。彼は神との平和を、子どもが母親と共にいる時の安心感に例えました。

「まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。乳離れした子が母親の前にいるように、私のたましいは乳離れした子のように私の前におります。」(詩篇131章2節)

 

母親の皆さん、あなたの存在は子どもたちに神の存在を感じさせ、神への信仰を育てます。子どもたちは母親から無条件の愛、毎日の赦し、そして自己価値を学びます。母親からこれらを学ぶことで、子どもたちは神もまた彼らを深く愛していると実感できるのです。この学びを通じて、子どもたちはより強い信仰を持ち、神の大きな愛を信じるようになります。

 

神への信仰による内なる美

 

多くの女性が、ファッション雑誌を見るたびに自分の欠点を気にして落ち込むと言います。雑誌に登場するモデルたちは、しばしば理想化されたスタイルで、完璧な髪型やメイクをしています。これは、時に楽しみでありながらも、同時に心が痛む体験でもあります。

 

しかし、聖書を読む時、神が外見ではなく、心の美しさに価値を置いていることを私たちは思い出します。

「麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、【主】を恐れる女はほめたたえられる。」(箴言31章30節)

 

神にとって外見が重要でない理由は、外面の魅力は一時的なものであり、容易に変わり得るからです。外見の美しさに惑わされることは、その魔法がすぐに解けるリスクを伴います。外見だけを重視する人は、しばしば相手を利用しようとします。聖書に出てくるデリラは、自分の外見と魅力を使ってサムソンを誘惑し、彼を滅ぼす計画に利用しました。しかし、外見の美しさは時間とともに消えていきます。鏡を見れば、顔のしわが増えるのが分かります。

 

一方で、神を畏れる女性、つまり神を愛し、敬う人には別の物語が用意されています。言葉と行動で神を喜ばせようとする女性がいる家庭は、幸せに満ちています。神のみことばに従って家族と接する女性がいる家庭は、平和で満たされています。信仰に基づいて生き、祈り、賛美を捧げる女性がいる家庭は、真の喜びで満ちています。

 

箴言31章の女性の美徳は、女性を追い詰めるために書かれたのではなく、彼女らの価値を認識し、その信仰に感謝するために書かれました。言いましょう、「私たちは皆、お母さんを尊敬しています!」

 

4.親業

 

信仰について話す環境を整えましょう

 

健康的な教会であるかを測る目安のひとつは、教会が家族のように感じられるということです。教会に集うメンバーが、帰属感を持ち、お互いのことを気遣い、それぞれが尊重されている、と感じるのです。そして、健康的な家庭であるかを測る目安は、家庭がこのような教会のように感じることです。

 

ここで言いたいのは、家のしつらえの事ではありません。あなたの家にオルガンや長いベンチがなくても構いません。しかし、信仰について語る環境である必要はあります。私たちの家族は、毎日神とつながりを持つ必要があります。日曜日だけでは足りません。私たちは家庭を礼拝の宮、聖書研究の場、祈りの場、そして讃美歌を歌う場とすることができます。パウロはこのように述べています。「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。」(コロサイ人への手紙3章16節)。

 

もう一つ覚えておくべき事実があります。このような環境が自然にできることはない、ということです。親業(おやぎょう)は、とても疲れる仕事です。体力のあり余っている時は、いつまでたっても来ません。夫婦が子ども抜きの二人きりの時間を確保することが大切であるのと同じように、私たちが家庭の中で神との時間を確保することは非常に大切です。神を家庭に迎え入れることを優先すれば、神と私たちの家族との関係はとても素晴らしいものになります。

 

あなたの家族が一緒に聖書を読み、祈り、讃美歌を歌うのは、朝、昼、夜のどの時間帯がいいでしょうか?家庭礼拝をすぐに始められるように、手の届くところに聖書と賛美歌などを用意してありますか?

 

神のみことばと御心を教えましょう

 

夏になると蚊に刺されることが多く、不快な思いをします。蚊は生まれながらにして人の血を吸うことを知っています。これは蚊の本能であり、蚊がそれをあえて学ぶ必要はありません。一方で、私たち人間がイエス・キリストについて知ることは、生まれつきではありません。

 

親の中には、子どもが自然とキリストについて学び、理解すると考えている人もいますが、これは誤りです。実際、子どもが思春期になって反抗的になったり、問題行動を起こしたりすると、親はその原因を疑問に思うことがあります。

 

子どもたちは、神についての知識や、どれだけ神に愛されているかを知らずに生まれてきます。彼らはこの世の悪や自分の内なる悪を早くから認識しますが、救い主イエス・キリストについての知識は持っていません。そのため、親が子どもたちに救い主について教えることが重要です。モーセは信者たちに、神のみことばと神の偉大なみわざを子どもたちに教えるようにと言いました。

それをあなたがたの子どもたちに教えなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、それを唱えるように。」(申命記11章19節)

 

家庭で神のみことばを語るとき、それはまるで神ご自身が話しているかのように子どもたちの心に響きます。神のみことばは悪の力を退け、信仰を育み、神に喜ばれる選択をするための知識を子どもたちに与えます。

 

洗礼を授けなさい

 

神はあなたの子どもが信仰を通じて救われることを切望しています。この目的のために、神は強力なみことばだけでなく、聖霊が子どもたちの心に宿ることを可能にする手段をも用意してくださいました。それが洗礼です。

 

旧約の時代、子どもが生まれると、神に動物の生け贄が捧げられ、子どもには割礼が行われ、これにより神との良い関係が築かれました。新約の時代になると、洗礼により信者は神の家族の一員となりました。「キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり」(エペソ人への手紙5章26節)

 

私たちは子どもが予防接種を受けて安堵するのと同様、洗礼を受けることで平安を得ることができます。洗礼つまりバプテスマは、神によって罪が赦されることを意味し、洗礼を受けた子どもがイエス・キリストの保護を受けることを意味しています。この聖なる保護により、子どもはあらゆる悪から守られるのです。

 

ペンテコステの日、ペテロは数千の人々に次のように言って聴衆を驚かせました。

「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。・・・この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」(使徒の働き2章38,39節)

 

子どもに洗礼を授けることをためらう人は、子どもがその意味を理解できないと考えることがあります。しかし、遺産の相続人がその遺産の意味を完全に理解していなくても遺産を受け取ることができるように、神の遺産である洗礼もまた、子どもを含むすべての人に与えられるものです。

 

サポートの存在

 

刑事ドラマで警官が危険な場所に入る際、必ずバックアップを求めるシーンを見たことがありますね。これは実際の危険な状況でも非常に重要です。一人で立ち向かうのではなく、常に援助を求めるべきです。

 

親として心配事が尽きることはありません。子どもが小さいうちは病気や事故のリスクがあり、思春期になると自動車事故やアルコール、ドラッグの危険が心配されます。これらのリスクに対し、心配しない親はいないでしょう。

 

ある時、イエスは弟子たちが子どもたちを軽んじているのを見て憤りました。彼は弟子たちにこう警告しました。

「あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。」(マタイの福音書18章10節)

これはどれほど心強いメッセージでしょうか。私たちは常にサポートを受けているのです!

 

神の天使たちは私たち一人ひとりを守ってくれています。彼らは個々に任務を帯び、私たちの名前を知り、どこにいても私たちの安全を見守っています。彼らの上司は神ご自身です。天使たちは神の権威と力のもとで働いています。

 

天国に行った時、私たちが見ることのできなかった天使たちがどれほど多くの危険から守ってくれたのか、神が教えてくれるかもしれません。そして、私たちの子どもたちを守ってくれた天使たちに感謝の言葉を伝える機会があるかもしれません。それを心から願っています。なぜなら、彼らに伝えたい感謝の言葉がたくさんあるからです。

 

赦しの心を持ちましょう

 

子どもたちがどうして親を困らせることが得意なのか、そしてなぜそうするのか、不思議に思ったことはありませんか?彼らはわざと親を怒らせて楽しんでいるのでしょうか、それとも単に聞く耳を持たないのでしょうか。服を脱ぎっぱなしにしたり、皿を洗わずに放置したり、兄弟を殴ったりして、まるで家庭のルールを無視しているかのよう。そして、私たちが家庭での適切な振る舞いについて説明すると、退屈そうにする。親としては、時には疲れて自己憐憫に浸りがちになり、子どもたちの行動にうんざりすることもあります。そんな時、私たちはどうすれば良いのでしょうか。

 

イエスの弟子シモン・ペテロは、誰かを7回赦したら、それ以上は赦さなくて良い、と思い、こう訊ねました。

「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」

 

するとイエスは言われました。

 

「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。」(マタイの福音書18章20,21章)

 

振り返れば、私たち自身もかつて親を悩ませたことがあるでしょう。他人、特に子どもたちに対する優しさと赦しの心を失っているなら、神が私たちをどれほど赦してくださっているかを忘れてしまっているのです。実際、子ども時代が長いのは、親が、神が私たちに対して持っているような忍耐と愛を学ぶためかもしれません。

 

私たちの救い主イエス・キリストは、私たちの全ての罪を背負って十字架で亡くなりました。それによって、私たちは毎日神の恵みと赦しを受けることができるのです。私たちが神の約束を信じるだけでなく、私たちの周りの若者にもその良い知らせを伝えることで、神に栄光を帰すことができます。

 

喜びを持って奉仕しよう

 

人との関係を築く時、私たちはその関係から何か良いものを期待しています。デートや買い物をするのも、それが楽しいからです。何の得もなければ、誰もそれを望まないでしょう。

 

しかし、幸せな家庭を築く上で最も重要なのは、相手に奉仕することです。これは驚くべきことかもしれませんが、結婚や子育ても、「誰かに奉仕したい」という気持ちがなければ上手くいきません。これは大切なポイントです。

 

確かに、これは簡単なことではありません。私自身もまだ学んでいる途中です。しかし、しもべとしての奉仕の精神は、単に重要なだけでなく、クリスチャンにとって最も適切な態度です。私たちはイエス・キリストという「神のしもべ」によって、罪と死から救われました。イエスは神としての栄光を脇に置いて、私たちのために犠牲となりました。神は私たちをイエスに似た者となるよう招いています。

 

次の言葉は難しいと同時に、癒しに満ちた言葉です。

「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」(ピリピ人への手紙2章3-5節)

 

本音を教えてください。あなたは家庭の中で、自分をしもべとして捉えていますか?

 

尊敬を育みましょう

 

アメリカでは学校での教師への暴力が増加しており、多くのベテラン教師もこの問題を認識しています。個人の自由や表現の自由を重んじる文化と、家族の絆の希薄化が、権威への不信感を強め、結果として暴力を振るう子どもたちが増えています。

 

この状況はサタンにとって好都合です。私たちの中には自由を望む一面があり、サタンはそれを利用しようとしています。しかし、その事実に気づいている親はどれだけいるでしょうか。社会は子どもたちに自制心を教えることを求めており、内面の衝動をコントロールする教育が必要です。

 

尊敬は生まれつき持っているものではなく、教えられ、模範を見せられることで身につきます。イエスは迫害を受けながらも、宗教指導者やローマの支配者に敬意を払いました。パウロも

「すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。」(ペテロの手紙第一2章17節)

と述べています。子どもたちは他人を見下して自己肯定感を高めるべきではなく、権威を壊すことが自由につながるわけではないと理解する必要があります。

 

子どもたちにこれらを教えるのは、親であるあなたの大切な役割です。

 

クリスチャンのコミュニティを見つける

 

私の知り合いには、自宅で子どもの教育を行っている人たちがいます。これはホームスクーリングと呼ばれ、アメリカ全州で合法です。しかし、自分で子どもを教育する親はごくわずかで、多くの親は最適な学校を選んで子どもを通わせています。私たち夫婦もその一例です。

 

クリスチャンの親がホームスクーリングを選択することもありますが、子どもを信仰へと導くことは神の命令であり、私たちの義務です。この過程で、愛に溢れるクリスチャンのコミュニティを見つけることが重要です。

 

アメリカには多くのクリスチャンの教育機関があります。これらの学校や日曜学校は、キリストへの信仰とクリスチャンとしての生き方を教える素晴らしい場所です。マリアとヨセフも、12歳のイエスを宮に連れて行き、偉大な教師たちから学ぶ機会を与えました。

「そしてようやく三日の後に、イエスが宮で教師たちの真ん中にすわって、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。」(ルカの福音書2章46節)

 

教会は、子育ての知恵や経験を共有し、支え合う場所として機能します。また、家庭での礼拝や聖書学習のためのリソースを提供することもできます。クリスチャンの子どもたちがこの世で役立つ人間になることを学ぶことも大切ですが、イエスを愛する友人を持つことも同じくらい重要です。

 

励ましと理解をもって子どもと接しましょう

 

歴史を通じて、多くの文化で子育ては主に女性の役割と見なされてきました。これは、母親だけが子どもを産み、育てることができるためです。そのため、子どもたちが母親によって育てられるのは自然なこととされています。

 

しかし、父親の子育てへの関わりが少ないことは、神の計画に反するものでした。パウロはこのことについて、聖書のひとつの章すべてを使って教え、エペソ人への手紙では、

「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」(エペソ人への手紙6章4節)

と言っています。

権威を持つ人々は、しばしばコントロールや圧力をかけがちです。そのため、パウロは家族の長である父親に、愛情深く、寛大で、優しく子どもたちと接するよう助言しています。厳し過ぎる態度は子どもたちの心に悪影響を及ぼし、反発や怒りを生む可能性があります。父親は家庭内の平和を保つリーダーとして、怒りの感情を抑える役割があります。

 

父親たちへ、子どもたちを励まし、自信をつけさせてください。彼らを深く愛し、心と魂に栄養を与えてください。子どもたちの保護者として、彼らの幸福を支え、神との関係を深めるよう導いてください。子どもたちがイエス・キリストを通じて得られた救済について知る機会を増やし、聖書を読むことで信仰を強め、常に神の導きに従うようにしてください。

 

人生の終わりには、地上の物質的なものは全て失われますが、天国に持っていけるのは人の魂だけです。

 

神が先に愛してくださったことを忘れずに

 

「あなたの娘さん、若い頃のあなたそっくりね」や「息子さん、お父さんと瓜二つだ」などの言葉を聞くと、親としては子どもを誇りに思い、喜びます。これらの言葉は、子育てが上手くいっている証でもあり、同時に自分自身も褒められているように感じるものです。私たちは皆、褒められることを喜びます。

 

しかし、子どもたちを「自分たちのもの」と考える時、一つ大切なことを忘れてはなりません。それは、子どもたちを一番最初に愛し、今も変わらず最も深く愛しているのは神であるという事実です。私たちは、神から信頼され、子どもたちを託されています。

「邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。」(マタイの福音書19章14節)

とイエスが言っているとおりです。

 

イエスが「来させなさい」と強調したのは、子どもたちも罪の救済が必要であり、御言葉と聖礼典を通して信仰が育つことを示すためです。子どもたちは神の国の一員であり、イエスを信じることができます。

 

幸いなことに、神は私たちの子どもたちを「自分のもの」と見なしています。そのため、神は私たちの子育てを支援し、私たちが自己中心的であっても赦しを与え、良い決断を下すための導きを提供します。そして何より、親としての大きな喜びを与えてくださいます。

 

5.親の子どもであること

 

子どもに親への従順を教える

 

「すぐにこっちに来なさい!」と言っても子どもが聞かないとき、親が「お願い、こっちに来て。そしたらマクドナルドに行こう。おもちゃ屋さんにもね」と言って説得する場面を見たことがあるかもしれません。このような取引きは見ていて心地よくありません。子どもたちには、親が言ったことは一回で聞くべきだと教える必要があります。そうでなければ、「自分がコントロールできる」「親は本気で言っていない」と学んでしまいます。

 

親の言うことを聞かない子どもは、社会に出ても良い従業員になれないでしょう。さらに悪いことに、神への従順も学ぶことができないかもしれません。親への従順が基礎となっていなければ、目に見えない神にどうやって従うことができるでしょうか。子どもが親であるあなたに従わなければ、神が与えた戒めに従うことも難しくなります。

 

従って、子どもが親に喜んで従うことを教えることは非常に重要です。使徒たちをあらゆる国に派遣したイエスは、

「わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい」

 

と言いました。そして、弟子たちを励ますために

「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイの福音書28章20節)

 

と言ったのです。

 

子どもに親への従順を教えることは、彼らが社会でうまくやっていくため、そして神の教えに従うことを学ぶための基礎となります。

 

親を敬うことの重要性

 

もしアメリカの思春期の子どもたち100人に「親についてどう思うか」と尋ねたら、多くは「親は自分の自由を制限する存在」と答えるかもしれません。残念ながら、「私の親は、神さまが与えてくださった、とても大切で価値ある人たちです。親はいつも私のためになることをしてくれます。親が私に生き方を教え、間違いを正し、ルールを作ってくれることに、とても感謝しています」。こんな風に答える子は多くありません。しかし、聖書は親を敬うべき価値ある存在と教えています。これは子どもだけでなく、成人した子どもたちにも当てはまります。

 

「あなたの父と母を敬え」という神の命令は、単なる義務ではありません。これはあなたの人生に豊かさをもたらすためのものです。神はこの命令に、長寿と幸福な人生という二つの約束を結びつけています。

「あなたの父と母を敬え。あなたの神、【主】が命じられたとおりに。それは、あなたの齢が長くなるため、また、あなたの神、【主】が与えようとしておられる地で、しあわせになるためである。」(申命記5:16)

 

両親を敬うとは、彼らに感謝することを意味します。親はあなたが想像もつかないほどの愛を注ぎ、計り知れない犠牲を払ってきました。そして、もし親があなたにイエス・キリストについて教えたのなら、彼らはあなたに永遠の命の道を示してくれたのです。

 

両親を赦しましょう

 

「父なる神よ、お赦しください」と祈ることには大きな力があります。なぜなら、神はこの祈りに対してすぐに、そして無条件で応えてくださるからです。イエスの十字架による犠牲は、どんな罪も赦されるという約束を私たちにもたらします。

 

しかし、「私たちに罪を犯す者を私たちが赦すように」という言葉は、私たちにも他者を赦すことの重要性を思い出させます。コロサイ人への手紙は、深い共感、慈しみ、謙虚、柔和、寛容を身につけるよう私たちに促します。

「それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。」(コロサイ人への手紙 3章12、13節)

親を赦すことは、この教えを実践する一つの方法です。

 

親は私たちを育て、愛してくれましたが、完璧ではありません。彼らもまた罪を犯すことがあり、時には私たちを傷つけることもあります。多くの人々が、困難な環境や状況の中で成長してきました。こうした経験は、私たちの心に深い痛みを残すことがあります。

 

過去を変えることはできませんが、私たちはどのようにそれらを受け止めるかを選ぶことができます。神が私たちを赦し、救ってくださったように、私たちも他者を赦すことを選ぶことができます。これは、私たちを苦しみや怒りから解放し、心の平和へと導く道です。怒りを手放し、赦しの力で自由になりましょう。

 

家族を愛し、チームとして協力しましょう

 

自己中心性は私たち全員の共通の問題です。しばしば、他人の自分勝手さは目につきますが、自分自身のそれには気づきにくいものです。家族からの警告サインでさえ、見過ごしてしまうことがあります。

 

特に思春期の子どもたちは、自分自身を見つける過程で、自立への強い願望を持ちます。彼らは両親や兄弟から距離を置き、時には家族を見下してしまうことさえあります。この自己探求は必要な過程ですが、時には家族を遠ざけてしまいます。

 

私たちは、生まれながらにして「自分にとって何が得か」「他人が自分に何をしてくれるか」という考え方を持ち合わせています。カインが示したように、「私は兄弟の番人か?」という考えは、自己中心的な心の表れです。しかし、神は私たちにもっと崇高な道を示しています。ガラテヤ人への手紙にあるように、「愛をもって互いに仕えなさい」という教えは、私たちの生き方の根底にあるべきです。

「愛をもって互いに仕えなさい。律法の全体は、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という一語をもって全うされるのです。」(ガラテヤ人への手紙5章13,14節)

 

 

イエス・キリストは、私たちに仕え、赦しを与えるためにこの世に来られました。彼の生き方は、家族から遠ざかりがちな私たちに、再び接近する方法を教えてくれます。私たちは自分を過大評価しがちですが、同時に家族の価値を過小評価しています。家族は神からの贈り物であり、私たちの大切なチームメイトです。家族というチームの一員として、互いに愛し合い、支え合いましょう。

 

神によるあなたの養子縁組

 

二重国籍という概念をご存知でしょうか?二つの国の市民権を持つ人は、それぞれの国のパスポートを所持しています。もし洗礼を受けているなら、あなたは地上の国籍に加え、もう一つ、天の国籍を持っていると言えるでしょう。

 

聖書は洗礼を、天の父が公にあなたを愛し、守ることを約束する瞬間だと説明しています。つまり、洗礼証明書はあなたが神の家族の一員となった証です。

「あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。」(ガラテヤ人の手紙3章26節、27節)

 

この事実は、家族を失ったり、孤独を感じている人にとって、特に心強い知らせです。もし地上の父親がいない、または亡くなっているなら、天の父があなたに与えられました。もし一人っ子だとしても、世界中のクリスチャンという大家族の一員になったのです。未婚の人は、イエスが自らをクリスチャンの花婿と表現し、永遠の結婚式がもうすぐ始まることを思い出してください。

 

神はあなたを自らの子として迎えることを喜びとしています。同じように、あなたも神を「お父様」と呼ぶことに誇りを持ちましょう。

 

両親への再教育: 子どものような心を取り戻そう

 

子どもたちは、衣食住や移動手段を自然と与えられると信じています。この無邪気な信頼は自然なことです。子どもたちは、大人よりも容易にイエス・キリストを信じ、彼の愛と支援を受け入れます。

 

しかし、成長するにつれて、私たちは自立し、自分自身に依存するようになります。この過程で、神が私たちのすべてのニーズを満たすという純粋な信仰を失いがちです。大人は、得られるものは全て努力して得なければならないと学びます。問題は、神の愛や祝福も努力によって得られると多くの大人が考えることです。

 

大人は、自分が良い行いをすれば天国に入れると考えることがあります。また、自己中心的な人は、自分が他者より優れていると信じ、自分の望み通りに全てを得られると考えることもあります。最も悲しいのは、過去の失敗によって自分は神の恵みを受ける資格がないと思い込む人々です。

 

イエスは私たちにこう呼びかけます。

「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、入れません。」(マタイの福音書18章3節)

 

この「子ども返り」は老化による退行ではありません。それは幸福への道であり、喜びに満ちた生き方です。

 

6.子育ては村がかり

子育てはコミュニティ全体の責任です

 

ナイジェリアには「子育ては村全体の仕事」ということわざがあります。独身者や子どもがいない夫婦であっても、子育てに関わることは可能です。実際には、血縁関係にある子どもや、信仰によって結ばれた若者たちが、あなたの助けを必要としています。親は日々の育児で忙しく、時には疲れ果ててしまうこともあります。そのため、子どもたちに愛と支援を提供できるクリスチャンの大人が求められています。

 

イエスが復活後、弟子たちに与えた使命にも、この考えが反映されています。

イエスはシモン・ペテロに言われた。『ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。』ペテロはイエスに言った。『はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。』イエスは彼に言われた。『わたしの小羊を飼いなさい。』」(ヨハネの福音書21章15節)

 

あなたが叔父、叔母、日曜学校の教師、近所の人、ボランティア、コーチ、教師として子どもたちを大切にすることは、神の大きな喜びとなります。神は私たちが神の家族の一員として、小さな羊たちの世話をすることを望んでいます。

 

孫を甘やかすだけが祖父母の役割ではありません

 

「孫は、子育ての苦労のご褒美」と言われます。孫と楽しく過ごし、おむつ交換や就寝時が来れば親に返せば良いのですから。祖父母にとって、孫は過去の育児の失敗を修正するチャンスかもしれません。

 

しかし、神様は祖父母にも大切な精神的な任務をお与えになっています。「ただ、あなたは、ひたすら慎み、用心深くありなさい。あなたが自分の目で見たことを忘れず、一生の間、それらがあなたの心から離れることのないようにしなさい。あなたはそれらを、あなたの子どもや孫たちに知らせなさい。」(申命記4章9節)

 

孫の世話をしている祖父母へ、その愛情と献身に敬意を表します。

 

60歳以上の皆さんへ。この世は、おじいちゃん、おばあちゃんの温かさを必要としています。子どもたちと接する機会は、神の愛と赦しの喜びを分かち合うチャンスです。ご高齢であっても、あなたの祈りが世界中に届き、多くの人々の人生に影響を与えることができます。

 

あなたが幼かったころに愛情を注いでくれたクリスチャンたちは、今、天国であなたを待っています。そして、あなたに「よくやった、神の忠実なしもべ」と言うでしょう。

 

 

 

 

ブログカテゴリの最新記事